東日本大震災で被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。
被災地が一日も早く復旧、復興しますように。
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4/21の日記が消えてしまいましたので、改めて書きます。
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それぞれのあのとき・・・
東京の人々が震災当日に体験したことは、被災地の方々の辛く悲しい体験とは、
比べ物にならない些細なものだと思います。
でも、私たちにとってもあの長い長い大きな揺れは未曾有の体験でした。
通信・交通が機能しなくなって大混乱となりました。
そして人々がとった行動は、東京の様子は・・・
過ぎてみると間違った行動や滑稽な行動もあったかもしれませんが、
人々は生き延びるために真剣だったのです。
近い将来に、首都圏を震源地とする大地震が来ると言われています。
今回の地震の体験から、今後の防災に役立つヒントが得られるかもしれないので、
私が見聞きした「それぞれのあのとき」を書いてみようと思います。
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3/11の東日本大震災のとき、どこにいたか・・・
大きく分けて次の3つの場所に分けられると思います。
1.自宅(or親しい友人・知人・親戚宅)
2.勤務先
3.非日常の場所(旅先、出先)
まずは、あまりバラエティに富んではいないのですが、まず1.の自宅から。
★Yきたさん(仮名)の場合
自宅にいました。
美容院から帰って遅い昼食を食べ、そろそろ買い物にでかけようかな、と思ったときでした。
思わずペットのセキセイインコが入ったカゴの下の台を押さえていました。
<この行動の問題点>
●火の元を確かめるべきだった。
●マンションなので、玄関ドアを開けて避難口を確保すべきだった。
(マンション在住で建築関係の仕事をしている方の話では、ここは耐震ドアになっているが、まずドアは開けたほうが良いとのこと)
●テーブルの下などに入って身を守るべきだった。
●我が家には2羽インコがいるのに、片一方しか押さえていないので
不公平である!?(そおだっ、僕も守れっ!<`ヘ´> byようた)
しかも、カゴではなくて台を押さえていたので無意味だった。
(そぉだっ、むいみだっ byこうた)
<自宅にいて良かった点>
●ペットを守ることができた。(そうともいえないのだ!<`ヘ´> byようた&こうた)
●自宅の固定電話から親や親せきの安否確認ができた。
(最初のうちは固定電話同士はすぐに通じた)
●帰宅困難の心配が当然なかった。(自宅なので当たり前だ)
●住み慣れた家なのでどこが安全かがわかった。(家具の配置を熟知しているため)
●すぐにテレビをつけて地震の状況を知ることができた。
<自宅の問題点>
●普段静止している家具や家電が大きく揺れた様を目撃しているので
つねにそれらを思い出し、PTSDになる可能性が否定できない。
●特に一人でいると恐怖を分かち合う相手がいないため、怖さが倍増するかも。
<その時の部屋の揺れの様子>
●薄型テレビが激しく前後に揺れた(電気屋さんが、設置したときにテレビと壁を鎖でつないでくれたので、倒れなかった。)
●乱雑に積んでいた数十冊のマンガが床に崩れ落ちて、足の踏み場がなかった。
クローゼットの中、食器棚、本棚の上に置いた軽いぬいぐるみや箱などが床に落ちた。(泥棒が入ったみたいだった)
●チェストのレール式の引き出しが開いた。(これも泥棒が入ったみたいだった)
<被害など>
●ガスの安全装置が働いて供給が止まった。(安全装置のことはメーターをつけかえたとき説明されたな、という記憶があって、良かったと思った。
ガスメーターに復帰方法が書いてあったので簡単に復帰できた。)
●チェストの上の先代インコの写真立てが倒れ、その際、供えてあったおちょこに当たって水がこぼれて写真立ての中に入った。
濡れてしまった写真を取り出して拭くときに、誤って写真立てのガラスをテーブルに落として少し欠けてしまった(地震の二次被害?)
Yきたさんはその日は夕刊を取りに下まで行った以外、一歩も外に出ませんでした。
そして、テレビをずっとつけて情報を得ながら、余震にも堪え、夫の帰りを待ちました。
後日、マンションの人々とそのときどうした、という話をしたら、何人もの方が震災のときに自宅にいて、一様に、隣近所がどうしているかとても気になった、とおっしゃっていました。
それで、これからは大きな地震のときは互いに声を掛け合おう、助け合おう、ということになり心強く思ったものでした。
今回の震災はマンションの人々と前よりも距離を縮めてくれました。